「逃げ切り」という幻想 ― 製造業で働く50代へ

製造業に従事する人の60%が50歳以上。

この数字を聞いて、あなたは何を感じるだろうか。

「やっぱりそうか」と納得する人もいれば、「自分もその一人だ」と思う人もいるだろう。私がこの数字を見て最初に感じたのは、日本のものづくりの未来は、この世代の「覚醒」にかかっているということだった。

70歳まで働く時代の現実

かつて、60歳定年は「ゴール」だった。

そこまで頑張れば、あとは悠々自適。年金をもらいながら、趣味に生きる。そんな人生設計が、多くの人にとっての「普通」だった。

しかし、その「普通」は静かに崩れている。

年金支給開始年齢は段階的に引き上げられ、65歳までの雇用確保は義務化された。2021年には70歳までの就業機会確保が努力義務となり、実質的に「70歳現役時代」が始まっている。

50歳の人にとって、これはあと20年働くということだ。

20年。

これは短い時間ではない。1990年から2010年を思い出してほしい。バブル崩壊からリーマンショックまで、世界は何度も激変した。インターネットが普及し、携帯電話がスマートフォンになった。同じだけの変化が、これから起きる。いや、もっと速いスピードで起きる。

「今のスキルのまま、あと20年」は、もはや幻想だ。

なぜ50代は「学び」を避けるのか

私は長年、製造業の現場を見てきた。ヨーロッパで10年、北米で5年。そして今、日本の中小製造業を支援している。

その中で気づいたことがある。

50代以上の技術者が新しいことを学ぶのを避けるとき、その理由は「面倒だから」ではない。もっと深い、人間としての感情がそこにある。

「30年かけて積み上げてきたものが、否定される気がする」

2D CADを極めてきた人が、3D CADを学べと言われる。その瞬間、自分の30年が「古いもの」として片付けられる恐怖。それは技術の問題ではなく、尊厳の問題だ。

「若い奴に教わるのは、正直キツい」

現場を引っ張ってきた自負がある。後輩を育ててきた。それが今度は、その後輩から「先輩、ここクリックしてください」と言われる。プライドが許さない。それは自然な感情だ。

「今さらやっても、どうせ追いつけない」

デジタルネイティブ世代は、生まれたときからスマホがある。彼らと同じ土俵で戦っても勝てない。だったら、今の持ち場を守る方がマシだ。そう考えるのも無理はない。

これらの感情は、すべて本物だ。否定すべきものではない。

しかし、だからこそ問いたい。

その感情のまま、あと20年を過ごせるだろうか?

「逃げ切れる」という計算は成り立つか

冷静に計算してみよう。

あなたが今55歳だとする。定年まで5年。再雇用で65歳まで働くとして、あと10年。なんとか今のスキルで乗り切れそうな気がするかもしれない。

しかし、その10年で何が起きるか。

AIによる設計支援は当たり前になる。3Dプリンターでの試作は標準になる。図面はクラウドで共有され、海外の工場とリアルタイムで連携する。IoTでラインの稼働状況は可視化され、データを読めない人は意思決定から外される。

「俺は現場を知っている」という経験値は、データで武装した若手に上書きされていく。

そのとき、会社はあなたに何を期待するだろうか。

「まあ、あの人は昔貢献してくれたから」という温情で、あと10年のポジションが保証されるだろうか。人手不足とはいえ、価値を生まない人材を抱え続ける余裕が、中小製造業にあるだろうか。

厳しいことを言っているのは分かっている。

しかし、これが現実だ。そして現実から目を背けても、現実は変わらない。

逃げ切りではなく、「攻めの20年」へ

ここまで読んで、暗い気持ちになった人もいるかもしれない。

しかし、私が本当に伝えたいのは絶望ではない。希望だ。

考えてみてほしい。

あなたには30年の現場経験がある。機械の「音」で異常が分かる。図面を見れば、加工の難しさが瞬時に判断できる。トラブルが起きたとき、過去の経験から解決の糸口を見つけられる。

これらは、AIには簡単に置き換えられない能力だ。

問題は、その能力が「暗黙知」のままで止まっていることにある。言語化されず、共有されず、あなたの頭の中だけにある。

新しいスキルを学ぶということは、その暗黙知を「形式知」に変えるプロセスでもある。3D CADを学ぶことで、あなたの頭の中にある空間認識が、データとして表現できるようになる。IoTの基礎を理解することで、あなたが「音」で感じていた異常を、数値として若手に伝えられるようになる。

新しいスキルは、あなたの経験を否定するものではない。あなたの経験を「拡張」するものだ。

そう考えたとき、学びは苦痛ではなく、自分の価値を再発見する旅になる。

「乗り越えられない試練はない」

私自身、海外での新工場立ち上げで、何度も壁にぶつかった。言葉の問題、文化の違い、想定外のトラブル。「もう無理だ」と思った夜は数えきれない。

しかし、振り返ってみれば、そのすべてが今の自分をつくっている。

50代からの学びも同じだ。最初は苦しい。プライドが傷つくこともある。しかし、その先には、経験と新しいスキルが融合した「自分だけの価値」がある。

製造業の60%を占める50代以上が、もし本気で覚醒したら。

日本のものづくりは、まだまだ世界と戦える。

20年を「逃げ切る時間」と考えるか、「攻める時間」と考えるか。

その選択は、あなた自身の手の中にある。


あなたは今日、何を学びますか?

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です